植物性料理研究家うのゆきこです。
コロナの影響により営業自粛をしていた頃、経営者の友達たちとオンライン会議(というより談話)をざっくばらんにしていた中で私の経緯の話になり、この内容は他の方々にも知ってもらった方が面白いんじゃないのか?という話になりました。
その内容を今回より少しずつ書いていけたらなと思いました。
お時間ありましたらどうぞお付き合いください。
「どうしてケーキに豆乳を使おうと思ったんですか?」
よく、この質問をされます。
今振り返ってみると、
「食の未来を切りひらくため、豆乳を使うのが私の運命だった」
こう思います。
私の人生は、豆乳をきっかけに、食物アレルギー対応のスイーツ作り、農業、植物性料理の研究など、どんどんと広がっています。豆乳から食の未来をきりひらくなんて、最初は全く想像もしていませんでした。
今でこそ、
・世界で唯一の「豆乳パティシエ・うのゆきこ」
・植物性料理研究家協会、代表理事「植物性料理研究家・うのゆきこ」
とみなさまに応援していただいていますが、そこに至るまではいばらの道でした。
2006年、私は30歳で京都・一乗寺に洋菓子店「むしやしない」のお店を始めました。
夢と希望に満ちた初めての自分のお店です。しかし、「むしやしない」に最初からお客様が来てくれたわけではありません。
早朝から夜遅くまで休みなくケーキを作り続け、晩御飯に売れ残ったケーキを食べる毎日。
『自分のお店を持つことによって多額の借金を抱えてしまった』
『頼れる身内もいない、学歴もない、もしこれで失敗したら終わりだ』
不安で自信がもてない、私にもそんな弱い一面があります。
弱さがあるからこそ、私はいつも厳しい状況に自分を追い込んで、崖っぷちで生きる道を進んでいます。
何度もくじけそうになりながら、「お客様に喜んでいただきたい」という一心で自分の感性だけを信じ、諦めずにケーキを作り続けました。
そんな私を応援してくれるかのように、一人、また一人とお客様が増えていきました。
「むしやしない」を始めた時、私らしいスイーツを作ろうと選んだのが豆乳です。
なぜ、私が豆乳を選んだのか?
理由は単純で、「京都に根付いた食文化=おとうふ文化」だから
『そうだ豆乳を使おう!』
とひらめいたのでした。
京都生まれ京都育ちの私にとっては、お豆腐をよく食べることが日常生活の一部でした。
京都は盆地という特色から豊富な地下水とおいしさが凝縮された食材があります。
また古都に伝わる洗練された四季折々の伝統的食文化もあります。
そんな環境が身近にあったおかげで、私は自然と食に対する「粋」な感覚を身に付けていました。
食と健康は切り離せないものです。「地産地消」という言葉があるように、その土地で出来たものをその土地で頂くことが健康にとって大変良いという考え方があります。この「地産地消」は健康面のメリットだけでなく、食料自給率の問題の解決にもつながります。
私は洋菓子の世界でも「地産地消」をしたいと考え、おとうふ文化を思い出し、豆乳を使いました。
豆乳なら、女性にとって嬉しい働きもあります。大豆に含まれるイソフラボンは女性ホルモンに似た働きをするので、美と健康と若々しさを助けてくれることで有名です。
甘いものが大好きだけど、健康や美容も気になる多くの女性たちにとって夢のような食材です。
「女性のオーナーパティシエが作る、豆乳スイーツ」
「むしやしない」開店当初の苦戦を救ってくれたのは豆乳でした。
豆乳のおかげで話題になったのです。
その後、私の人生は豆乳と共に発展していきます。
「むしやしない」の豆乳スイーツをたくさんのメディアに取り上げてもらい話題になる。
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イソフラボンの化粧品CMに「豆乳パティシエ・うのゆきこ」として出演、有名に。
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食物アレルギーを持つお客様と出会い、アレルギー対応のケーキ開発が始まる。
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7年の開発期間を経てアレルギー対応のケーキ、「ミラクル*ケーキ」が完成。
「むしやしない」の看板メニューとして日本全国からお買い求めいただく。
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食物アレルギーの方のお悩みを聞いて・・・
原材料にこだわり、自社農場をつくり大豆の栽培。
植物性原料のみで作った「うのゆきこカレー」開発・販売。
乳製品を使わず工場内での混入の心配もないチョコレートを世界中から探し求め販売。
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食物アレルギーの方もそうでない人もみんなで楽しめる食を提案する「植物性料理研究家・うのゆきこ」として活動。
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「食のバリアフリー」を目指し、世界中に新しい価値を提供すべく海外展開。
豆乳を選んだことが、このように壮大に広がっていきました。
「もしかしたら私が豆乳を選んだのではなく、豆乳が私を選んでくれたのかも?」
そんなことすら感じる、豆乳との人生です。
次回は『プティフール』について書いていこうと思います。